私(こ)と小鸟と映画とときどき論文と

、2017年1月11日(水)、
【そんな料理のことを我々は作った者への敬意を込めて…スペシャリテと呼ぶのだ!!】
来週、しゅーろんてーしゅつ


そんな今、心境に合った、頭を巡る駄文を書き連ねようかと思い立った次第


修論の提出を控え、自身の論文が今現時点の全てを絞り尽くせたものになったのか

そんな問いが頭をグルグルまわってる

そんな時、心に突き刺さったのは『食戟のソーマ 弐の皿』の秋の選抜決勝の判定前のシーン

タイトルはその時の堂島先輩の一言を引用


以下もそのシーンの熱量高めの台詞を引用


「しかして勝負の決め手となったのは料理人の顔が見える料理かどうか」byおはだけ老師


「本当のオリジナリティに溢れた皿は味わっただけでその料理人の顔が心に浮かんでくるものですから」byおはだけ美人

「言い換えるならば、その者にしか創ることが出来ない、真に独創性のある料理のことを我々は、創った者への敬意を込めて、スペシャリテと呼ぶのだ」byおはだけ先輩

「頂点に立つべきはその料理を最も深く追求した料理人、その料理とは何かという問いに真に向き合った者だ」byおはだけ老师


このシーン自体が永きに渡った闘いの決勝という事で、なんともひじょーに暑苦しい(笑)


しかして自身の限界を問われている今、とても胸に刺さる訳ですわ

マンガでは料理の中にどれ程、その時点での料理人の全てを出し切れたかが問われてる訳ですが

これは表現活動一般に言えることなんじゃないかと
小生は思い、胸が震える訳ですわ


論文もテクニックとか社学の知識をどれだけ活用したか

それも当然重要なことだけれど

どんなに研究では客観性を保ったとしても、それぞれの研究の問題意識には大なり小なり、その研究者自身の人となりが垣間見れるんですよ

論文を読むと、前人未到、未開拓で道なき荒野をただひたすらに進む研究者の生が感じられる

『顔の見えない定住化』名古屋大学出版会 はその体験をさせてくれた大事な1冊です。

自身の住む浜松は、こんなにも新たな知見が眠る宝庫、言い換えれば混沌とした社会学的現象の巣窟であり、先人がその道を切り拓いてくれたのだと思うと、浜松っ子としていても立っても居られなくなった

本を読んでそんな武者震いをするなんて初めての事だった

まさに偶然出会ったその本がスペシャリテに値する、研究者の血が通った著作だったからだと思う


翻ってみて、自身の論文はというと、社会学を学びたくて入った大学院だったけれど、内容的には教育社会学の影響をかなり受けたものになりそうです…


今振り返れば、学部の主査が教育社会学者で、学部時代に教育に関心があって塾講師のバイトをしていたことが思い出されます



後付みたいな解釈だけど

研究していく中での原点回帰は、己にしか出来ない論文を創作するために必要な過程だったのかもと

不思議と、無意識的に原点に立ち戻っていったよーな気すらします


まぁ何と言っても受理されんと話しにならんのですが

泣いても笑ってもあと1ヶ月


今の心境を記録しとこうと試みた訳ですわ




取り急ぎ、自分記録の一稿までに




















[P.S.]
1/11^22:24
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